生きているのメッセージと見届けることが希望という私の中の矛盾

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脳死と宣告されてから

ブログに気持ちを携帯で打ち込んで吐き出すという作業が自分の中でルーチンのようになっている。

 

それでも吐き出す場所がアメブロから自分のブログになっただけなのだけど、なんか慣れないから難しい。

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アメブロは慣れ親しんだ場所の一つ

 

結局、上手く吐き出せないからアメブロに携帯から打ってからブログに書き写してしまう。

 

慣れ親しんだ場所はこんなところにも存在するんだなと実感。

 

こうちゃんがお腹の中にいた時からずっとしてきた作業だったから。

言葉にして話せない気持ちを綴っていると気持ちが楽になったから。そこに聞いてくれる誰かが存在したから。

それでも、今の現実の重さにそれすらできなくなることも。

 

少し、こうちゃんのことから気をそらすために始めたアドセンスのブログ。

 

仕事をした方がいいとか、気分転換をした方がいいとか、色々考えるけどなかなか動けないでいる。「もうちょっと待って」ってこうちゃんに言われてるようで。

 

そんな中で記事を書いてる時は寝ることも忘れて没頭して確かにその時間はこうちゃんのことが頭からから離れている。

 

これでいいのかと心の隅っこで思いながら。。。良いわけがないと思いながら。。。

 

それでもなぜ、別の所へ移そうと考えたのかとそのメリットやデメリットについてはまた別の記事で書けたらいいなと思います。

 

変わらない現実の周りをまわっているだけ

 

日々、何が普通でどう気持ちを持っていけることが正しいのか、どうすれば前向きになることができるのか、何を希望にすればいいのか、3か月たったのに未だにわからないでいる。

同じところをぐるぐると、前に進めないまま。変わらない現実だけがそこにある。

ブログの記事ですら。。。ただ記事を写すだけなのに思い出を振り返るのが怖くてなかなか進めないでいる。

笑って記事を読み返しながら、こんなこともあったなーなんて。。。

たったそれだけのことなのに胸が苦しくなってしまう。

思い出だけを綴っていればこんなことにならなかったのかな。

 

リアルタイムで綴っていたからこそ感じる一歩先の暗闇。

出口は見えないのに、暗闇にずっといるとそこが暗闇と感じなくなる。

 

その光が残された時間を悔いなく過ごすことになってしまっている。

そんな光を求めていたわけではないのに。

 

今日もこうちゃんは変わらずにそこに存在している。

ただただ、存在して何かを待ってくれているように。

目を開けることもなく、泣くこともなく、鼓動と人工呼吸器の呼吸の音でそこに命があることを訴えている。

命って何だ。生きるって何だ。

それでも私の中に占めるこの存在感。目を背けないでと言っている。

 

日々をどう過ごすことが正しいのか、私にできることは。。。

 

頑張ってるこうちゃんを応援すること、見守ること。

 

そばにいた方が良い?

 

誰のため?こうちゃんと私のため。そのためには?

 

私が安定しないと。

 

じゃあ、私の希望はこうちゃんを見届けること?

 

それが希望になる?

 

その先は暗闇なのに。。。

 

いつになったら見える?そこにある幸せは。

失くしてから気づいたのでは遅いのに。

 

見届けないとという思いと見届けるのが怖いという思いで動けなくなる。

 

その暗闇が怖くて。

 

でも散々落ちたのだから、今度こそ上がらないと、側にいないと時間がない。そばにいることがお互いのためになればいいなと。。。

 

日曜日の面会、昨日の説明を聞いて夫婦で散々落ち込んだのだけど。。。

 

こうちゃんの顔を見たら少し落ち着いた。

 

 

そばにいると安心する。

 

今日も頑張ってくれてありがとう。

 

 

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